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<Author: 杜甫>
<Title: 詠懷古跡五首 二>
<Format: 格式不明>
<Year: 1988>
<BookName: 唐詩三百首詳解  上卷>
<Translator: 田部井文雄>
<style: 現代文有假名>
<style2: 日本現代譯文附假名標注>
<TranslatedTitle: 古蹟を詠懷す 五首 其の二>
<BookPage: 389>
<UsedPage: 1>
<Feature: 0>
<End Header>
<Poem>
搖落深知宋玉悲，
風流儒雅亦吾師。
悵望千秋一灑淚，
蕭條異代不同時。
江山故宅空文藻，
雲雨荒臺豈夢思。
最是楚宮俱泯滅，
舟人指點到今疑。
<End Poem>
<Translation>
落葉（らくよう）の秋（あき）に出（で）あって、宋玉（そうぎょく）が味（あじ）わった悲（かな）しみをわたしも今（いま）深（ふか）く理解（りかい）することができた。それに加（くわ）えて宋玉（そうぎょく）こそ風流儒雅（ふうりゅうじが）の精神（せいしん）・教養（きょうよう）を備（そな）えているという点（てん）で、また、わたしの師（し）と仰（あお）ぐ人（ひと）である。千年（せんね）の昔（むかし）を悲（かな）しく思（おも）いやって、ひたすらに涙（なみだ）を流（なが）し、ものさびしく思（おも）うのは、その宋玉（そうぎょく）と世（よ）を隔（へだ）ててしまって、時代（じだい）を同（おな）じくすることのできないことだ。

川（かわ）や山（やま）の間（あいだ）には、宋玉（そうぎょく）の住（す）んだ家（いえ）のあとがあるだけで、ただ詩文（しぶん）のみが今（いま）の世（よ）に残（のこ）されているばかり。宋玉（そうぎょく）がかつてうたった荒（あ）れはてた巫山雲雨（ふざんうんう）の陽台（ようだい）も、どうして単（たん）なる夢物語（ゆめものがたり）であろうか現実（げんじつ）のことのように思（おも）われてならない。

しかし何（なに）よりもとりわけて心（こころ）を悲（かな）しませるのは、楚王（そおう）の宮殿（きゅうでん）が、宋玉（そうぎょく）の故宅（こたく）や雲雨台（うんうだい）とともに、ほろびて消（き）えてしまい、今（いま）になって船頭（せんとう）が、あのあたりと指（さ）していることである。
<End Translation>